年代 皇帝の称号 年号 年数 干支 西暦 内容 付注
清 聖祖 康熙 一九 庚申 1680 『護国庇民妙霊昭應宏仁普済天妃』の称を与えた後、田に廟を建てる。  
清 聖祖 康熙 一九 庚申 1680 皇帝が『お香』と『絹織物』を与える為、官吏を遣え諧を拝む。  
清 聖祖 康熙 一九 庚申 1680 『天上聖母』と言う称号を与える。 初めて『天上聖母』と呼ばれる
清 聖祖 康熙 二二 癸亥 1683 琉球の官吏汪輯・林麟倡などを遣え『春秋祀典』にマーズゥー(媽祖)の名を入れるよう奏請する。  
清 聖祖 康熙 二二 癸亥 1683 姚啓聖総督が官吏を遣え諧?を拝み、『鐘鼓樓』を建てる。  
清 聖祖 康熙 二二 癸亥 1683 福建海軍施琅が『梳妝樓・朝天閣』を修築し、『撫我則后』の文字を残す。  
清 聖祖 康熙 二二 癸亥 1683 海軍施琅が軍人を引き連れ澎湖・台湾に行き戦で勝利をもたらした為、更に『天后』の称を与える。 『天后』と呼ばれるようになる
清 聖祖 康熙 二三 甲子 1684 更に『護国庇民昭霊顯應仁慈天后』の称を与え、そして官吏を遣え諧を拝ませる。  
清 聖祖 康熙 五八 己亥 1719 琉球の官吏海寶などの人々を引き連れ祀典でマーズゥー(媽祖)の名を残す。 正式に祀典にマーズゥー(媽祖)の名を残す
清 世宗 雍正 四 丙午 1726 皇帝自ら『神昭海表』と書いた額を?州・廈門・台湾の天后宮に掛けさせる。  
清 高宗 乾隆 二 丁已 1737 『護国庇民妙霊昭應弘仁普済福祐郡生天后』の称を与える。  
清 高宗 乾隆 二二 丁丑 1757 更に、『誠感咸孚』の4文字を与える。  
清 高宗 乾隆 五二 丁未 1787 『恩霑海国』と書いた額を鹿港天后宮に置く。  
清 高宗 乾隆 五三 戊申 1788 更に『顯神贊順』の4文字を与える春秋祀典でマーズゥー(媽祖)の名を残すよう命じる。 前の皇帝康熙の名前を入れる
清 仁宗 嘉慶 一一 丙寅 1806 5本の『蔵香』を官吏に配り、各沿岸の天后宮に祭るように命ずる。  
清 仁宗 嘉慶 一四 己已 1809 皇帝が巴圖魯総督に『虔牙霊床』の額を、鹿港天后宮へ持っていかせる。  
清 仁宗 嘉慶 二一 丙子 1816 福建軍政長官王紹蘭に『福蔭揚帆』と書いた額を鹿港天后宮へ持っていかせる。  
清 宣宗 道光 六 丙戌 1826 『安瀾利運』の額を与える。  
清 宣宗 道光 一九 已亥 1839 『澤覃海宇』の額を与える。  
清 宣宗 道光 二八 戊申 1848 更に『恬波宣恵』の額を与える。  
清 宣宗 道光 二九 已酉 1849 更に『導流衍慶』の額を与える。  
清 文宗 咸豊 二 壬子 1852 皇帝自ら書いた『神功済運』の額を与える。  
清 文宗 咸豊 五 乙卯 1855 『衛漕保泰之神 恬波利運』の額を与える。  
清 文宗 咸豊 元 乙亥 1875 皇帝自ら書いた『與天同功』の額を鹿港天后宮に置く。  
清 コ宗 光緒 元 乙亥 1875 皇帝が福州の将軍文Uに台湾安平の港に廟を建てるように頼む。