年代 皇帝の称号 年号 年数 干支 西暦 内容 付注
宋 太祖 建隆 元 庚申 960 3 月 23 日天后誕生 . 月餘未聞啼聲故命題3 月 23 日天の后誕生、 1 ヶ月になるまで泣く事が無く黙ったままだった。 誕生
宋 太祖 乾徳 五 丁卯 967 8 歳塾教師の記録によると文章を全て読んで意味を解く事を教え諭した。  
宋 太祖 開寶 元 戊辰 968 9 歳、金鋼経・可蘭経・唐玄奘・遺経典 全てを知る。  
宋 太祖 開寶 二 己巳 969 10 歳仏に対する礼儀を暗唱することが出来、暇があれば母の布織りを手伝い、彼女は天性の親孝行娘。  
宋 太祖 開寶 五 壬申 972 13 歳、玄通道士による伝授『玄微秘法』により全てに目覚める。  
宋 太祖 開寶 八 乙亥 975 16 歳、のぞいた井戸からお札を見つけ、それからいつでも神と通じ合う事が出来るようになる。  
宋 太祖 太平 元 丙子 976 17 歳、びしゅう港で一艘の商船が転覆し、草や木を投げ助ける。  
宋 太祖 太平 三 戊寅 978 19 歳、織機で溺れた父を助け、航海して兄を探す。  
宋 太祖 太平 七 壬午 982 23 歳、千里眼・順風耳・龍子・晏公の 4 人を自分の武将に収める。  
宋 太祖 雍熙 四 丁亥 987 28 歳、 9 月 9 に重陽の日に びしゅう にある峰の山頂まで登り、道になる為、明るい内に昇天する。 成道
宋 太祖 雍熙 四 丁亥 987 郷の人々が始めて 祠を建てる、そこに祭る神を『通賢神女 ( 知恵のある賢くて、愛のある女性 ) 』と呼ぶ。 初めて祠を建てる
宋 哲宗 元祐 元 丙寅 1086 郷の人々が?之海東高?と言う所で廟を建てそこに祭った塑像を『聖? ( セイトン ) 』と呼ぶ。  
宋 哲宗 元符 元 戊寅 1089 ?南 60 楓亭に初めての祠を建てる、いつもで祈ることが出来る為が目的。  
宋 微宗 宣和 四 壬寅 1122 高麗 使の允迪 ( ロインテキ ) を助けた感謝の恩に皇帝は允迪 ( ロインテキ ) に『順済』と書いた額を江口にある祠に立てさせた。 皇帝が額を与え始める
宋 高宗 紹興 二五 乙亥 1155 夢の中に神が現れ、指導の元、井戸を掘ってみると、その清らかな水は疫病を治す効果があった為、『福が高くなる夫人 ( ぶにん ) 』と称を与えられた。 初めて『夫人 ( ぶにん ) 』の称を与えられる
宋 高宗 紹興 二六 丙子 1156 更に『霊恵夫人 ( ぶにん ) 』の称を与えられる。  
宋 高宗 紹興 二七 丁丑 1157 郷の人々が?東 5 里の白湖の所に祠を立てる。  
宋 高宗 紹興 三十 庚辰 1160 偉大な神の力で連続凶悪犯を捕まえる事が出来たので、更に『霊恵昭應夫人』の称を与えた。  
宋 孝宗 淳熙 一十 癸卯 1183 神の力により台湾にいる泥棒を捕まえる事が出来たので、更に『霊慈昭應宗善福利夫人』の称を与えた。  
宋 光宗 紹熙 元 庚戌 1190 早急救助の功労の為、『霊恵妃』の称を与える。 初めての栄転、 妃と呼ばれる
宋 寧宗 慶元 四 戊午 1198 更に『助順』の 2 文字を捧げる事により、長い雨に晴れをもたらした。  
宋 寧宗 慶元 六 庚申 1200 神の力により大きな加護を与えた家族として、マーズゥー ( 媽祖 ) の父・母・兄・姉に名誉を与える。 初めて親族へ褒め与える
宋 寧宗 開禧 元 乙丑 1205 敵の撤退に成功した為、更に『顯衛』の 2 文字を与える。  
宋 寧宗 嘉定 元 戊辰 1208 強盗を捕まえる事に成功した為、更に『護国助順嘉應英烈妃』の称を与えられる。  
宋 理宗 寶祐 元 癸丑 1253 興化泉州の凶作救済に成功した為、更に『護国 助順嘉應英烈協正妃』の称を与えられる。  
宋 理宗 寶祐 三 乙卯 1255 更に、『霊恵助嘉應慈済妃』の称を与えられる。  
宋 理宗 寶祐 四 丙辰 1256 銭塘土手建築に功労を残した為、更に『 霊恵協正嘉應善慶妃』の称を与えられる。  
宋 理宗 開慶 元 己未 1259 火を使い強盗を殺す事が出来た為、『顯済妃』の称を与える。