| 泉州天后宮は保存期間が一番長く、規模が一番大きく、格が一番高く、海神天后を祭っている廟です。泉州城区南部の鯉城区天後路にあります。近くには晉江河があり、水運の集中する場所でもあります。古代、泉州城で一番にぎやかだった場所でした。西暦1196年(南宋の慶元二年)より建設し始め、各時代に修築を行ってきました。建物は南を向いていて、総面積は7200余り平方メートルあります。主体の建物は中央線上の左右対称になる様に建てられていて、外側から山門・劇舞台・東西闕・正殿・東西廊下・寝殿・角亭・梳妝楼などがあり、とても整った配置でずば抜けた独特な風格の建築芸術です。沢山の天后宮の建築手本になっていて、マーズゥー(媽祖)信仰の拡大の歴史上でとても重要な所と言えるでしょう。 |
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全建物の中で正殿と寝殿は一番特色のある所です。正殿は大殿・天后殿とも呼ばれ、天后聖像が面積の635.5平方メートルを占め祭られています。長方形の平面で横24.6m・縦25.6mですが、前方には簷廊を増築しているので、奥行きが深くなっています。地盤を1m高くしていて、周りには花崗岩があり、岩には鯉が龍と化したもの・鶴が雲中飛んでいる様子・法器・花が彫られています。簷廊内には1対の輝緑岩を使って彫った龍の柱があります。 |
| とても生き生きとしていて、巧みな技術を使っており、南石彫刻の中で代表作品とされています。殿内の後方の壁には清の時代の『勅封天上聖母圖』が描かれていて、この絵は全マーズゥー(媽祖)廟の中で此処でしか見ることが出来ません。その為大変高い歴史価値と芸術価値のあるものです。 |
| 寝殿は正殿の後ろにある為、『後殿』とも呼びます。地盤は正殿より更に1m高く、各時代に修築を行ってきましたが、構造と法式は明の嘉靖の時代(西暦1522〜1565年)のままを残し、尚且つ修築後の特徴やその地の建築風格も残しています。前方には簷廊も作りました。広さ35.1m・奥行き19.8m、面積は700平方メートルに近いです。殿内には金の柱があり、前後には雙歩梁と三歩梁を使い、屋根を支えています。前簷廊は1対の明時代に修復際にここへ持ってきて使った、輝緑岩で彫刻したインド教形式の石の柱があります。この石の柱は十六角形の形をしており、上・中・下に正方形の形をしたものがあります。正方形の中には四合如意・六出梅花錦帯・四季花など縁起の良いものが彫刻されており、独特な風格が出ています。石柱の上には木柱があり、木柱には『神功護海国、水徳配乾神』と言う文字が彫られています。マーズゥー(媽祖)が航海の方でご加護をなさってくれた感謝の意味を込めて彫られたものです。 |
| 梳妝楼は寝殿の後ろにあり、面積は400平方メートルあり、2階建てで、?南建築の風格があります。マーズゥー(媽祖)の尊敬の為、廟建設の際に女性向きの建築に仕上げ、それは天后宮の中でも特殊な規制を使い建てられました。民国年代中、泉州晦鳴中学に改築された事がありましたが、2002年6月に泉州市政府の投資と、台湾鹿港天后宮と大甲鎮瀾宮の多大な出資援助により、本来の場所で中学校を撤去し、本来の梳妝楼を建て直しました。2003年9月23日に建設完成の祝典を挙げ、2005年3月に鹿港天后宮独自の100万元の投資により、梳妝楼2階には精巧で美しい観音神棚を作りました。 |
| 宮内は主に天后を祭り、『天妃・天上聖母』とも呼ばれているこの神はマーズゥー(媽祖)です。中国代表の海神であり、長期の間泉州の海外貿易を盛んにしてきた為、朝廷から多数の称を与えられました。天后信仰も泉州の商人・水手(船人)・移民者に伴って、中国大陸・香港・マカオ・台湾に来ました。『海上シルクロード』に沿っている国と地域にも伝播し、人類の海洋発展に大きな影響をもたらしました。 |