| 昭和20年(1945年)に鹿港天后宮の後殿は連合軍による爆破に遭いました。後殿が破壊した為、『玉皇大帝』・『三官大帝』の神像は、正殿内に移動し祭りました。 |
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| 民国48年(1959年)、マーズゥー(媽祖)の1000年の誕生日を迎え、それは旧暦3月5日に鹿港で大きなイベントを催しました。昭和2年(1927年)の天后宮修築工事の際、後殿の修復はまだしておらず、民国48年(1959年)に地方地主の人々によって修築工事が始まりました。 |
| 後殿は民国48年(1959年)5月13日から修築工事が始まりました。作業日程は鹿港大工職人の水龍師(施水龍)と海師(施義海)が担当しました。 |
| コンクリート職人は炳師(郭炳)がしました。この作業時間は約1年余りにも及び、民国50年(1961年)旧暦1月6日に、初めて建物の最大の元となる梁を建てる事が出来ました。同年11月6日に前半の工事が終了し、12月6日に玉皇大帝が無事祭られた事を祝う儀式が行われました。 |