宋:  
宋宣と四年(一説では宋宣と五年) 宋徽の分派、路允迪(ロインテキ)は船団を引き連れて高麗を出ました。東シナ海まで航行した時ハリケーンに出くわしました。8艘の船が不幸にも沈没してしまい、唯一路允迪(ロインテキ)の乗った船だけが残り、その船の帆の所に赤い光が現れました。それはまるで朱色の衣を着た女性は姿勢正しくその上に座っている様でした。その瞬間波は不思議にも穏やかになり、危機を脱出する事が出来ました。路は不思議に思い部下にどうしたものかと尋ねた所、何かの神が助けたのではないかと話しました。船の上にいた一人の田人(田は中国福建省の中の県)が、路允迪(ロインテキ)にこれは?洲(びしゅう)の女神が助けてくれたのに違いないと報告しました。
   
路は朝に戻って命が無事だった事を皇帝に申し上げると、徽宗皇帝は詔を書き『順済』と言う廟を閉じ、変わりにほとりの洲にある『通賢霊女(知恵のある賢くて、愛のある女性)』を祭る事を言い伝えました。これはマーズゥー(媽祖)にとって初めて政府の祭祀を受けた時です。
元:  
元の都北京は当時経済文化の中心でした、そして食料においては南方の供給でまかなっていました。皆運河を利用して輸送してくる為、度々急な大波の危機に襲われました。マーズゥー(媽祖)は何度も輸送の危機を救う事により、都の物資供給の生命線を維持してきました。その為皇帝は将兵と船頭を引き連れ、航海の安全をマーズゥー(媽祖)の加護に託しました。元世の祖の至元の一八年、下の者に?洲(びしゅう)へ行くよう命じ、『国を守る天の妃』を宣言したもの与え、それをを祭り、毎年弔いました。
   
明:
明の永楽三年、明成の祖は鄭和に初めて西洋に使いに行くように命じました。途中ハリケーンに遭遇し、雷や荒波の中船舶が沈みそうな危機に襲われた時、鳥の様な女神が現れ、手には赤い電燈を提げ空中を上下左右を見え隠れする様な感じに飛び回っていました。瞬く間に気候はよくなってきて風は穏やかになり、無事到着する事ができました、皆が曰く『天の妃が守ってくれた』のだと。永楽五年、鄭和は都に戻りマーズゥー(媽祖)が危機を無事乗り越えられる様守ってくれたのだと伝えました。その為 明成の祖は更に『国や人民を守る見事で賢い天の妃』を与えました。
清:
清の康煕の二十二年、福建水軍の提督、施琅将軍が台湾を征服する時、神霊が現れたおかげで勝つ事が出来たので、皇帝は下の者の稚【雅】虎に言いつけ、代わりに聖母の元へ行き、聖母の偉大な功績を記載したものと、天の妃の称号をを与えました。
民国:
民国49年(西暦1950年)、彰化地区で雨が降らず日照りが続いてました、その為農作物の生育を阻みました、特に鹿港一帯は田植えをする者が3分の1程に減ってしまい、その為この地方の民衆と地主約500人が、3月19日午後2時、国民代表呂世明・省議会副議長謝東閔・県議員黄澄清・李丕顕の指導者の下、鹿港天后宮で雨が降るよう祈りました。その日天気は大変良く、儀式は1時間にも及びました、雨を降る様祈りをした内容には: 青空が燃えて塵となり落ち、その悲しい憐れみの声は万人を救い 天に赦免するよう懇願し、雨が降ることで救われる郡が現れる。 儀式が終わった後、天気は曇り始め大地は薄暗くなり、春の雷の音が鳴り響きました。翌日午前2時から小雨が降り、間もなく広い範囲で雨が降り、日照りの現象は解除されました。この雨を待っていた農民は大喜びしました、この時の雨が春の耕作に対してこの上ない益をもたらしました。この為善男善女は天后に感謝し、一時の鹿港天后宮へ参拝した人は万余りいました。
民国52年(西暦1963年)5月10日、鹿港鎮海の国民学校の教職員は父兄を連れて横貫道路の見学に行きました。雨の後の為道路は滑り易く、うっかり車がひっくり返ってしまい、乗車内の人々を大変驚かせました。幸いな事に車が滑り落ちた時、断崖の中の2つの木に遮られてたという不思議な現象が起きた為、死傷者を出す事は免れる事が出来ました。2つの木は『林』の意味をもたらし、それは聖母の姓でもありました。この様な危機を免れたのは、神の力の助けがあったからこそではないかと思い、後に車内を調べた所鹿港天后宮のお守りを持ってる者が沢山居る事が分かり、これは明らかにマーズゥー(媽祖)の助けで無事に危機を乗り越えることが出来たのです。その帰り道、車は直接鹿港天后宮へ行き、聖母に跪き拝む事で感謝の気持を告げました。
民国61年(西暦1972年) :4月、私立精誠孝行1年に通う林慈陽(鹿港出身)は友達10人と天后宮のマーズゥー(媽祖)参拝の後、海に遊びに行きました。うっかり岸から段々遠く離れてしまい、午後2時には満ち潮になり、大きな危機に襲われました。逃げようと試みたのですが、海岸までは9km~10kmあったので無理でした。林慈陽友達の安全の為、先に高い所へ急いで泳ぐ様に指揮し、自分は後から泳いでいき、一番近い牡蠣養殖所の漁民に助けを求めようとしました。しかしながら、体力にも限界があり、今にも沈みそうな時、牡蠣養殖所に大きくて丈夫な木の柱を見つけました掴む事が出来ました。林慈陽はかつて見たことのある漁夫を見つけ手を振りましたが気付いてもらえませんでした。林慈陽はマーズゥー(媽祖)の助けがありますようにと唱えていると、林慈陽の友達が彼からそう遠くない所で牡蠣養殖漁民に気付いてもらう事が出来助かりました。林慈陽の父、林大宜が息子の海での事を知った時、非常に焦って、漁民の陳可天に筏を漕いで探すよう頼みました、2時間かけて遠くの方で小さい黒い点を見つけました、良く見るとそれは林慈陽がこちらに向かって手を振っていて助ける事が出来たのです。