びしゅう島のびしゅう天后宮は世界20カ国で計1500余りのマーズゥー(媽祖)廟の元祖の廟です。2億余りの信者がおり、台湾だけでも800余りのマーズゥー(媽祖)廟があり、1400万人余りの信者がいます。びしゅう島は、大変美しい環境で、沢山の優秀人物を育ててきました。島の上には特別な山の峰や石や、沢山の森林、金黄色をした砂浜があります。
   
ある『東海明珠』と呼ばれた所にあり、宋雍煕四年(西暦987年)にマーズゥー(媽祖)記念の為、初めて建てられました。マーズゥー(媽祖)【西暦960〜987年】はびしゅう(びしゅう)島で生まれ育った女性で、決して長寿ではありませんでしたが、数え切れない位沢山の人々を救いました。
後に神として祭られる様になり、一般民間の信仰になりました。1000年来、マーズゥー(媽祖)信仰は海外・国内に広まり、廟も世界中に建てられました。その為人々はこの廟をマーズゥー(媽祖)廟の元祖の廟と呼ぶようになったのです。
   
マーズゥー(媽祖)の本名は林黙(西暦960〜987年)は、びしゅう(びしゅう)島出身です。一生を人々の救済に尽くし、助ける事に歓びをもった人だった為、沢山の人が尊敬しました。亡くなった後、人々は彼女の記念の為に西暦987年びしゅう島に廟を建て祭りました。これが世界で初めてマーズゥー(媽祖)廟を建設しました。朝が何度も代わり、戦の度に廟は倒れたり、建て直したりの繰り返しでした。
1978年、再度復建し、楼・亭・坊・殿・閣計36箇所を増築し、雄大な古代建築群に形成し、元の姿に回復しました。寝殿に置いてある金マーズゥー(媽祖)神像・石のマーズゥー(媽祖)神像・皇帝の命令によって作られた石彫刻・清の時代の印鑑は、それぞれ違う年代に与えられたものであり、マーズゥー(媽祖)文化の長い歴史を証明しています。
信仰者が増えてきた事により、1998〜2002年の間に、宋の時代の建築物に似せたものをもう幾つか建て、新しい廟の殿として使いました。その中には大牌坊・宮門・鐘鼓楼・順済殿・天後殿・霊慈殿・東西廡廊・祈福殿・祈福賓館などがあります。新殿の前方には1万平方メートルの広場があり、祝典や盛大なイベントの際に使われている場所です。
新建築のマーズゥー(媽祖)文化園には、石で彫刻したマーズゥー(媽祖)巨像・マーズゥー(媽祖)の事が彫られている彫刻・マーズゥー(媽祖)碑林・マーズゥー(媽祖)文化展示館などがあります。大自然と人々が建築した相互の組み合わせで、マーズゥー(媽祖)文化に輝きをもたらしています。
マーズゥー(媽祖)廟の元祖の廟は1000年以来、沢山の善男善女が参拝に訪れ、廟は『東方のメッカ』と呼ばれました。今日現在、この廟は世界でも有名な廟となり、聖地の雄壮で美しくて光り輝く様で、しかしながらとても長い歴史を蓄積し、残してきました。現代文明と歴史文化が一体となって、お互いに輝きを持ちながら反映しています。この廟は全世界2億信者の聖地を巡礼する中心であり、観光客の観光聖地でもあります。